■■■ Pakistan パキスタン ■■■
***別のお話***
 さて、海外での色々なトラブルは
事前に知っていることで、かなり防げますので、
その手口をご紹介いたしましょう。




彼は仮にTクンと呼びます。







いわゆる自由旅行者が駅を降りて、まず探したいのは、その日の宿泊先。
事前に情報がない場合、ツーリストインフォメーションなどを当たってみると、地図やら何やらを貰えて、何となく一応ひと安心したり出来るものです。



ラホールの駅を降りると、英語を話す割とかっこいいパキスタン人が近づいてくる。何処となくあか抜けた感じの人。
彼は、
「私は、ツーリストインフォメーションの者です。
 あなた、宿を探しているのでしょう? ご紹介できますよ。
 も〜ちろん、無料です!
 私がタクシーの運転手に説明してあげます。
 彼らは英語が話せませんから。」
と、にこやかに声をかけてくる。無料という言葉には恐い部分もあるが、その前に、いろいろボラれていたりすると、有り難いお言葉になってしまうこともある。
Tクンは『無料だし、宿探しも大変なので、頼んじゃおう』と、申し出に応じた。

そして、着いた宿は値段も安いしまあまあの所。早速、長い列車の旅で疲れた体を癒している。

一時休むと、宿の主人がチャイを持って挨拶に来る。一応、英語。
お茶もご馳走になってうれしいし、最初は楽しんで話しているが、なかなか帰らないので、疲れてきた。
「申し訳ないが、疲れているので休みたい」と、Tクン。
「お〜失礼した。つい楽しくてね。休む前にシャワーを浴びなさい。
 では、行くよ。あ、その前に、この宿帳にサインと、、、
 それからこの手帖に日本語でこの宿の紹介というか、
 感想を書いてくれないかな〜・・・。」
手帖を見ると、以前泊まったらしき日本人数名が日本語で、適当に感想を書いている。 日本人が来ると書いてもらっているようだ。
Tクンも適当に「宿は安くてまあまあ清潔、でもオヤジはうるさい」などと書く。オヤジは「なんて書いてくれた?」と聞くので「いい宿だって・・・」と言ってみる。
オヤジは喜んで「じゃあ、シャワーでも浴びなさい」と帰っていった。やれやれ。

でも、Tクン・・・。「な〜んか、うさん臭いぞ。今日はシャワー浴びずに寝よ」
オヤジは合い鍵を持っているので、タンスなど重い物を入り口まで移動したりして、 用心して寝る。日本からカラチに着いた後は、少しカラチを見ただけで、一気にラホールまで夜行列車で来た上に、列車ではよく眠れず疲れてたので、直ぐに深い眠りに・・・・・・・・・・・。


翌朝目が覚め部屋を見回すと、特に何事もなかったので「やれやれ・・・気にしすぎかな」と思って多少晴れやかな気分になる。

しかし、オヤジは、またやって来た。しばし、雑談に付き合う。
オヤジ:「シャワー浴びたか?」
Tクン:「昨日は疲れたので寝てしまった、でも、あとで浴びるよ」と言うと、「そうしなさい」と帰ってゆくオヤジ。
列車でホコリだらけになったので、ホントにシャワーが浴びたかった。

しかし、やけにシャワーにこだわるオヤジ。思いきり怪しい。
Tクンは、貴重品全てをビニール袋に入れて、後はどうでもいいような物しか部屋に残さずシャワーを浴びに行く(安い宿泊所のシャワーは共同が多いです)。まあ、このくらい用心していれば、安心。

浴び終わって部屋で一息着いていると、突然激しいノックの音。
Tクン「!?何事?」と思っていると「警察だ!あけろ!」
何かあったのかと思って開けると、数名の警官がなだれ込んできて、「荷物を調べさせろ」と言う。
オヤジも何の騒ぎかと様子を見に来る。
そしてオヤジは、「警察のいうとおりにした方がいい」と言うし、仕方ないので荷物を見せる、、、すると、なにやら自分の荷物の中に見覚えのない物が・・・・?

警 官:「これはなんだ?」
Tクン:「なんだろう?僕のじゃない」
警 官:「見せてもらうぞ・・・(ガサゴソ)・・
     なんだこれは!ハッシッシじゃないかっ!?」(かなりの量)
Tクン:「えっ!? ・・・僕のじゃない!!!」
警 官:「そんなこと通用するか。現行犯だ。」
Tクン:「僕はタバコも吸わないんだ。そんなもの吸うわけがない。」

びっくりしたオヤジは「お巡りさん、彼はいいヤツなんだ、そんなことしないよ。」と英語でTクンの味方をしてくれる。そしてパニック状態のTクンの前で、オヤジはTクンは真面目な青年だとか、私の友達なんだとか、精一杯助けようとしてくれている。

だが、警官はガンとして引かず、『おやじ!胡散臭いと思って悪かったっ。今、僕が頼りになるのはアンタだけだっ。頼む・・・』という、Tクンの思いも空しく、引きづり出される。

絶望的だ。どうなるのだろう・・・。

引っ張られていくなかで、外国で捕まった人の色々な話しが浮かんでくる。
「何年もの間、日本と連絡も取れずに帰れない人もいたし、死刑になった人も聞いたことある・・・・・。
はっ、思い出した。パキスタンは公開鞭打ちの刑もある。こんな国で裁判にかけられたら、どんな風になるのだろう。それより、裁判なんてしてもらえるのだろうか?・・・・・・・」泣きそうになってしまった。

しばらく歩くと、人気のない路地の壁に隠れたところに入っていく。
不思議に思っていると、警官達は
「おい、助けてやってもいいぞ」と言う。
Tクン:「え?!!!!! ホントですか!?」
警 官:「ああ、ただし、それなりのものを頂く」

勿論それはお金です。彼は身につけていた有り金全部取られました。日本円にして70万円。
(当時はキャッシュとチェックのレートがかなり違っていましたので、残念ながら彼は「キャッシュ」しか、もっていませんでした)



パキスタンからインドへ抜けて、お金の続く限り旅行しようと思っていたそうですが、インドの土を踏む前に、引き返すことになってしまいました。インドの物価なら、切り詰めれば1年は旅行できたでしょう。

読んでいるみなさんはもうお分かりでしょうが、ハッシッシを入れたのは、もちろん宿のオヤジ。オヤジと警官の言葉も、何故、普段日常では使わない英語だったか?それはTクンに見せていた演技だからです。後から考えれば、下手な演技をしていました。
本物の警官がこうですから、何処にも助けは求められず、泣き寝入りしか成す術は見つかりません。
これがTクンのお話です。







私がラホールに行ったのは、Tクンより5カ月近く前の話しですし、同じ宿ではないと思いますが、笑ってしまうくらいよく似た状況で、私がラホールに行った約後5カ月後に、Tクンからこの話を聞いたときは本当にビックリしました。

さて、私の場合は、「ラホールでは良くない話しがあるので、とにかく何がなんでも、『Y.W.C.A.』に泊まった方がいい」と別の方から事前に聞いていたので、この様なことはありませんでしたが、タクシーで宿の前までは連れて行かれました。



ラホールの駅に着くと、直ぐに近づいてきたツーリストインフォメーションの者という人(くどい顔の人が多いこの国にしては割と私のタイプ。あ、関係ないですね;;;)に、何とかボロを出させようと「じゃあ、オフィスで地図を頂戴。」と言ってみましたが「まだ閉まっているのでそれは無理だ」(確かに早朝だった)と言われました。(本当に親切だけで色々してくれる人もいるのでこの段階では、言い方もなかなか考えてしまいます。)

ただ、いっくら断っても、しつこく「紹介する」と言って、タクシーやバスの乗り場まで着いてくるので、本当は用心のため宿泊先を教えるのもイヤだったのですが「『Y.W.C.A.』に決めているから結構です」と突っぱねた。
すると「よしわかった、じゃあ、タクシーの運転手にそう説明してやる」と説明し始め「タクシーの運賃はxxxルピーだ」と教えてくれると行ってしまった。

タクシーの運転手は青年だったが、本当に英語は全く通じなかったし、モヘンジョダロの疲れも出てきて、彼も行ってしまったことだし『・・・・まあ、それなら良いか』と結局乗ることにする。

そしてしばらく走ると、な〜んかとっても入り組んだ、まるでメディナのような場所の突き当たりで止まってしまう。
「着いた」と言う顔の運転手。
いったい『Y.W.C.A.』は何処に???
などと思う間もなく、宿のオヤジが出てきて。部屋に案内するから早く降りろと言う。 でも、見回すと絶対に違うので、タクシーの運転手に、とりあえず袋小路のようなこの場所からバックして出てもらうように、何とか身ぶりで説明。
タクシーの運転手はボーっとしている。

オヤジは、何とかタクシーから降ろそうと、日本語で何やら宿の感想を書いた手帖を見せるので、一応読んであげると、「安くてまあまあだが、オヤジがうるさい。」などと書いてある。
でも「私は『Y.W.C.A.』に泊まりたいの!ここじゃない」と言うと、「ここだ!」などと、とんでもないことを言う。しかし、オヤジの指さす先には、白い壁に青いペンキで落書きのように Y.W.C.A. と書かれていた。
あまりの汚い字に声を出して笑ってしまった。

一瞬、「パキスタンならあり得るかも」と思ったし、「面白いので、この愛嬌に免じて泊まってみようかな」と思ったけれど、気を取り直して、運転手に半ば叫ぶように、でも、言葉が通じないので殆ど身ぶりで、「バックして!」と伝える。
最初は意味がよく分からなかったようだが、私が文字を見て笑ったので、オヤジが調子に乗って、私を引きづり降ろそうとしたところで、運転手はビックリして、バックして大通りに出てくれた。
さすがにオヤジは数歩しか追いかけてこなかった。



この運転手の青年がグルでなかったのが幸いでした。

その後、英語の通じないタクシーの運転手と(それでも何となく会話が弾みながら)大ざっぱな地図で、何とかたどり着いた本物の『Y.W.C.A.』は、広い敷地と立派な建物でした。

いつもなら、多少疲れていても直ぐに街の中を探索するのですが、前日のモヘンジョダロの疲れもあったので、その日はさすがにゆったりした『Y.W.C.A.』で、のんびり休みました。

今は、ラホールも、もうこんなことは、ないと思いますけど・・・・。